学生生活最後の授業

土曜日は,東工大MOT企業実践セミナーという授業に行っていたのだけど,昨日はその授業の最終回だった.東大と東工大は,単位交換の仕組みがあるようで,東工大の人が東大の授業を受けに来ているし,その逆もあるのだ.

今学期唯一受けていた東大の授業はこの前の水曜日が最終回だったので,学生生活最後の授業は,なぜか東工大で受けてしまったことになる.

この授業は,東芝のノートPC事業を立ち上げた方,太陽誘電でCD-R事業を立ち上げた方,富士写真フィルムで写ルンですの事業を立ち上げた方などなど,企業でMOTな仕事をした方がそのご経験を講演してくださるというもの.東大には,現場でMOTを実践していた方のお話を聞けるような授業は少ないので,とても新鮮だった.

合計で7名の講師の方が来ていただいたのだけど,面白かったのはその講演内容に共通点がたくさんあったということ.長年の経験から導き出されたものはシンプルで,本質を突いているんだろうな.

また,東工大MOTは社会人学生の割合が大きい.普通の学生だと,単位の取得とか卒業することが授業履修の目的になってしまうこともあると思うが,彼らは仕事に生かすことができるネタを探していて,すごく真剣だし,同じ講演内容からでも導き出されるものが違う.

この授業は,講演を聴いて,その次の週は講演内容について,学生間で振り返りをするような進み方だったので,社会人学生の方々とディスカッションする機会もあったのだけど,自分より世の中を広く知っている方々とお話できたのはとても刺激になった.

あとは,修士論文を残すのみ.残り2週間,力の限り頑張ろう.

今をしっかりと生きる

2月1日といえば、中学入試が一斉に始まる日。

昔、塾講師のバイトをしていたときには講師で手分けして生徒の受験校の校門前で激励を行ったりした。生徒はいつ来るか分からないので、相当早い時間から校門前に張り込んで、寒い中生徒の姿を探していたのを思い出す。

 今春の首都圏の国私立中学の受験者数は昨年より約1000人増え、過去最多の5万3000人に上る見込み。都心部の公立小学校では、この日、受験のために小6児童の7割が欠席するところもあり、過熱する中学受験ブームの“影”も浮き彫りにしている。

 東京・港区の区立小では1日、98人いる6年生のうち、7割を超える74人が欠席した。欠席者の中には「風邪」を理由にした児童もいるが、ほとんどは「中学受験」。

・・・

 ある杉並区内の区立小でも、6年生31人のうち10人が欠席。都内では、一クラスのうち3〜4割の児童が登校しない学校も珍しくなくなっている。

中学入試がピーク : ニュース : 教育 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

東京の小学生は本当にすごいなぁと感心してしまう。夜9時くらいに春日の喫茶店に行くと、塾帰りの小学生が勉強していたりという場面によく出くわすのだけど、自分の小学生時代を振り返ってみるとそんなの想像できない。僕は地方出身なので私立の中学校とか考えもしなかった。

彼らは中学校に入ってからも、東大を目指して、猛勉強を続けていくのかもしれない。最近まで、4年間ほど親戚の中学3年生の家庭教師もしていたのだけど、彼は新興の中高一貫進学校に通っていることもあって、宿題は山ほど出ているし、結構大変そう。彼なりに楽しい日々を送っているんだろうけど、やっぱり勉強が第一で、部活とか学園祭とかそれの付属品という認識のようだ。

僕の高校は大して勉強もせず、学校祭・運動会など、行事にやたらと熱を入れている高校だったのだけど、本当に濃い3年間だった。いい大学に行くために勉強をするということは大事かもしれないんだけど、それ以外にも今しかできないことというのはたぶんたくさんあって、そういう視点も大事にしてほしい。

最後に僕の大好きなドラマ「僕の生きる道」の一節を。余命1年と宣告された高校教師、中村秀雄(役:草なぎ剛)が生徒に対して。

例えば高校生活はいい大学に入るためにあるのだとしましょう。
大学はいい会社に入るため。会社に入ったら係長になるために仕事をし、係長は課長になるために。次は部長になるために。出世はたくさんの退職金をもらうために。たくさんの退職金は老後を豊かに過ごすために。
こんな風に将来のために今を犠牲にして一生を過ごしたとしましょう。
そうやって生きてきた道には、自分の足跡が何も残っていないような気がするんです。
つまり、将来を考えて生きることも大切ですけど、その時そのときもしっかりと生きて欲しいんです。
高校生である君たちが今歩いてる道にしっかりと足跡をつけて欲しいんです。

ドラマ「僕の生きる道

伊藤の時代?

DeNA南場さんのブログより.

これからはア行を重点的に採用してはどうかという話になった。
イカワとかアイザワとか。五十音順でもアルファベットでも最前列の彼ら彼女らは、常に何事も最初にあてられる。十分に思案する時間などなく、突然身に降りかかった難題、それは自己紹介だったり質問への回答だったり、運動や作業だったり、ありとあらゆる類のものだが、それらを全員の注目を浴びながら、圧倒的な準備不足の中、なんとかまともに切り抜けて来た連中だ。
そして次の難題がいつ降りかかってくるのか、常にそのプレッシャーと戦いながらまともな大人になって来た。
リーダーシップの重要な要素を後天的に身につけている。

ア行の時代|DNA of DeNA

僕は伊藤暦24年です!!「後天的に恵まれた環境」に生まれたことを親に感謝しないといけないかも.

ところで,一ヶ月くらい前にも書いたんだけど,伊藤陽介という名前はとてもありふれている.

どのくらいありふれているかというと,Googleで検索したら,鳴門教育大学の先生とか,コーチングの人とか,C言語の本の作者とか,どっかの会社の社長とか同姓同名の人がたくさん出てくるし,東大入試のときは隣の席の人が同姓同名だったし,高校の同窓会名簿には同姓同名の人が4人くらい載っているくらいだ.

まず,地元は伊藤姓が比較的多い地域*1なので,クラスに伊藤が2,3人いるのは普通.名前が珍しい人は,クラスメイトや先生にも名前を覚えてもらいやすいだろうけど,名前のインパクトがないというのは大きなビハインドを持っているはず.

そのような環境で育つと,ちょっと目立つことをしないと自分のことを覚えてもらえないので,それだけ工夫をして過ごしてきた人もいるはず.

他の見方をすれば,名前の普通な人は,名前を読み間違えられて嫌な思いをすることもないし,名前をネタにいじめられたりもしないので,素直な人が多いということも言えるかもしれない.

ということで,ありがちな名前の人を採用するというのはいかがでしょうか.

*1:伊藤姓の分布については「伊藤という名字の分布地図データ」を参照

ブログを書くということ

ブログを始めて今日で7ヶ月になる。当初はブログを書く目的として、思考の整理と新たな視点の獲得を掲げていたのだけど、この7ヶ月で目標としてたラインに近づきつつあると思う。

筆不精な僕には珍しく、ここ10日間の半分以上でブログを書いているのだが、最近、自分の考えを文章にアウトプットするスピードと精度が高まってきているのを感じる。やはり、ブログを書くということはいいトレーニングになっている。

特に、2007年11月1日のエントリーが予想外に盛り上がってしまったせいで、このブログを見ている人が増えた*1ということがいい契機になっている。

その効果としては、以下の3点。

  • 多くの人が見ているということが単純にうれしくて、ブログを更新するモチベーションがあがった。
  • 下手なことは書けなくなったけれど、その分、論理展開がおかしくないか、しっかり考えながらエントリーを書くようになった。
  • コメントやブクマなど、反応が来ることも多くなったので、当初掲げていた新たな視点の獲得に役立っている。

当初の目標をより高いレベルで満たせるブログとなるように、当面は、週に3回くらいのペースを維持して、発信し続けていこう。

*1:アクセス解析の結果によると、少ないときでも100ページビュー/日で、ちょっと盛り上がると1000ページビュー/日くらいになる。

就職活動は自然体で

東大生による就職活動論 - ignorant of the world -散在思考-

何だか、はてブで盛り上がっている。コメントを見る限りだと、賛否両論。

僕はいろいろと思うところがあって、中途半端にしか就職活動をしていないので、大きなことを言う資格はないかもしれないけれど、一言。ちなみに、id:yo4ma3さんは、IPAフォーラム討論会で一緒だった。そして、来年からは同業他社の人ということになる。

id:yo4ma3さんの言っていることは一理あると思うし、こういう就職活動をしたら、いっぱい内定が取れるかもしれないけれど、僕にはしっくりこない。

僕が、就職活動について、何かアドバイスをするとしたら、「自然体で臨むこと」。id:yo4ma3さんの設けている2つの質問について、自分のことを書いてみる。論理的にまとまっていないのは、ご勘弁いただきたい。

Q1.なぜ「あなたは」この会社に入りたいのか?

自分のいままでの人生を振り返って、自分の人生目標・将来の夢を心の底から設定できることは必須です。

とあるが、僕は心の底から設定できていない。正直、先のことはよく分からない。

大学に入ったときから今までの6年間を考えても、自分の世界はすごく広がったし、その影響を受けて、目標や夢もずいぶん変わった。さらに就職し、また違う世界を知れば、変わることもあるだろう。全然、世の中を知らない学生が、そんなに明確に語れるほうがおかしいような気がする。

もちろん、人生目標・将来の夢を持つことは大事だし、それに近づけそうなところに行くべきなんだけど、そんなにガチガチに考えてしまうのも、自分が想定していた以上の衝撃があったときに、つまづいてしまいそう。

甘えていると言われればそれまでかもしれないけれど、明確に目標を設定するのを諦めているところがあって、そんなに深く考えず、「おぼろげながらも持っている自分の目標に近づけそうで、今、一番イキイキと仕事をできそうなところに行こう」という気持ちだった。

僕は、Planned Happenstanceという考え方が自分の性にあっていると思っていて、今やっていることを楽しみつつ、そのときどき、やりたいことに向かっていけばいいんじゃないかなと考えている。

Q2.なぜ会社は「あなたを」採用する必要があるのか?

この質問を採用される側から考えると、「あなたと一緒に仕事をしたい、と思わせられるか」ということになります。そこでみなさんは、自分がどんな人間であるかをアピールすることになり、通常、自分の強みを主張することになります。

僕の場合は、「あなたと一緒に仕事をしたい、と思わせられるか」というよりは、「あなたと一緒に仕事をしたい、と思ってくれたところに行く」という感覚かな。

強みの再現性の問題

強みを納得させた上で「将来性を感じさせる人間」を演出できたら最強だと思います。

「演出」とか、考えるのはちょっと悲しい。自分が一番、頑張ったことについて、素直に語ればいいと思う。

再現性があるなら、それはそれでいいんだけど、そんなことを考えながら、大学生活を過ごすのはもったいない。それをアピールするためにロジックを組み立てるなんてばかばかしい。

面接官はプロなので、変なロジックを組み立てて行っても、たぶん見破られる。自分の素直な気持ちから出てくることというのはぶれないと思う。

会社が求める人物像の問題

いかに企業が求める人物像を読み取り、アピールし、一緒に仕事をしたいと思わせるか。ここまできたら、自分のコミュニケーション能力をフル稼働し、何が何でも説得するしかありません。個人的なアドバイスとしては、「徹底的に」情報を集め、柔軟性を持って対応することです。

徹底的に情報を集めて、会社が求める人物像になりきるというのはナンセンスだと思う。

「僕はこんな人です。」ということを着飾らずに素直に語って、「もし、僕を雇いたいというなら、よろこんで行きます。そうでないなら、さようなら。」というスタンスがいいのではないか。

変に着飾って内定をとっても、入社後に不幸になるだけじゃないかな。それこそ、入社後3年以内に会社を辞める原因になってしまうような気がする。

追記

もともと「僕の就職観」というタイトルでしたが、これだとタイトルから内容が分かりにくいので、1月12日9時40分ごろ、「就職活動は自然体で」にタイトルを変更しました。

センター試験現代社会の問題文に尾崎豊が登場

この土日に行われているセンター試験だが、現代社会の問題文に尾崎豊が出ている。

 映画には、私たちの人生のなかで起こり得る体験が、多様な形で織り込まれている。青年期の有様も、洋の東西や時代を超え、映画の中で描かれてきた。「友へ チング」(2001年、韓国)では幼なじみの4人の青年が、激しく愛憎をぶつけ合いながらチング(親友)としての関係を深めていく様子が描かれた。「理由なき反抗」(1955年、アメリカ)では、ジェームズ・ディーンが演じた17歳の青年ジムを中心に、学校や大人社会への強烈な反抗や、そのなかで生じがちな葛藤などの青年心理が描写されている。
 歌も、しばしばその時代の人々の心情を代弁する。1980年代には比較的軽快な歌も数多く生まれたが、尾崎豊は、もがき苦しむ青年の気持ちを謳った「十五の夜」、「卒業」などメッセージ性の高い歌を発表した。校内暴力が社会問題となった時代背景のなかで生み出された彼の歌は、対抗文化の持つ意義について、今でも人々に考えさせるところがある。1992年に26歳の若さで急逝した彼は、生前、スターに祭り上げられていくこと自体にも、激しい戸惑いを覚えていたという。

2008年度センター試験 現代社会 第5問

これは、青年期についての問題なのだけど、反抗や意思表示をする青年の代表例として、尾崎に触れている。ちなみに、「十五の夜」というのは、正式には「15の夜」だと思うのだけど、漢字で書いてあるのはセンター試験の仕様なのかな。

今では、「闇の告白」が現代社会の資料集に取り上げられていたり、「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節が倫理の教科書に載せられていたりするらしい。「闇の告白」とは、なかなかすごい曲を取り上げたもんだ。

尾崎は、僕が生まれた年にデビューして、9歳のときに死んでいるので、僕はど真ん中の世代ではないのだけど、僕のときにも学校教育では触れてはいけない部分という扱いを受けていたような気がする。例えば、給食の時間に校内放送で流す音楽で使ってはいけないと言われていたり、ささいなことだったかもしれないけれど。

センター試験の問題は次のように続いている。

 近年は、反抗する青年たちよりも、学業に仕事にも就かない青年たちの存在に注目が集まるようになった。働く意思があり仕事を求めようとしても、思うように就職できないことが少なくない。この現状は、青年たちを取り巻く現代社会の一側面を表していると考えられる。
 このように現代の青年たちには、上に挙げた映画や歌で描かれているような激しい反抗や意思表示は、必ずしも見られない。しかし、すべての青年の内なる葛藤が薄れてしまったわけではないだろう。そのような葛藤から逃避することなく自己としっかり向き合ってみること、それが青年期の意義の一つである。

2008年度センター試験 現代社会 第5問

尾崎豊が教育現場で取り上げられている理由は、おとなしいと言われがちな最近の若者に対して、熱い気持ちを持てというメッセージなのだろう。

僕は尾崎豊が大好きで、特に自分を奮い立たせるときには必ず尾崎豊の歌を聞く。あれだけ感情のこもった歌詞を、力強く歌える人を他に知らないし、死後15年以上経った今、聞いても全然古い感じがしないのは人間の本質的な部分を謳っているということなのかな。

僕はバイクを盗んだり、校舎の窓ガラスを割ったりはしないけど、尾崎の歌を聞くと戦う気持ちになれるのだ。この気持ちは忘れずに生きていきたいし、後の世代にも語り継いでいきたいと思う。

おもしろい人と一緒にいること

ほぼ日手帳には毎日数行の文がついているんだけど、今日のはなかなかよかった。

おもしろいと思ってる人の近くにいた方がいいような気がする。
おもしろい人と一緒にいるとやっぱりたのしいですよ。
つまんない人と一緒にいるとおもしろくなくなるんですよ。
おもしろいと思うような人たちとか、おもしろいことであるとか、
そっちに自分を置いたほうが、いいと思うなあ。
<塚越隆行さんが『就職論。』の中で>

調べてみると、これはほぼ日刊イトイ新聞の企画で、ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社の日本代表である塚越隆行さんと、糸井重里さんが対談した中で出てきた言葉で、下のリンク先でその対談を読むことができる。

ほぼ日刊イトイ新聞 - 「ほぼ日」の就職論。

おもしろい人と一緒にいることというのは、僕も大事だと思う。自分のことを振り返ってみると、特に高校、大学では、本当におもしろい人に恵まれてきたなぁ。

高校を選んだ理由は地元で一番の進学校だったからだし、大学を選んだ理由は自分がやりたかった分野で最先端のことができそうだったからだけど、そんなことよりも意図せずして、本当におもしろい人が入る場所に身を置けたということが幸せだったと思う。人は周りの環境に大きく影響されると思うのだけど、おもしろい人たちと過ごした日々が今の僕の価値観を形作っているのは間違いない。

僕が後輩に進路について何かアドバイスするとしたら、一番、おもしろい人がいそうなところに進むべきだと言う。自由闊達な校風の方がおもしろい人が多いだろうし、一般的にレベルの高い高校・大学の方がアツイ気持ちを持った人は多いし、単科大学より総合大学の方がいろいろな人と出会えそうだし、地方の大学より東京の大学の方が全国からいろいろな人が集まってきておもしろい。

来年からの仕事でも、周りにはおもしろい人が多そうなのは何よりだ。これからの人生でも、おもしろい人にいそうなところに身を置くというのは、一つのキーワードにしたい。