センター試験現代社会の問題文に尾崎豊が登場

この土日に行われているセンター試験だが、現代社会の問題文に尾崎豊が出ている。

 映画には、私たちの人生のなかで起こり得る体験が、多様な形で織り込まれている。青年期の有様も、洋の東西や時代を超え、映画の中で描かれてきた。「友へ チング」(2001年、韓国)では幼なじみの4人の青年が、激しく愛憎をぶつけ合いながらチング(親友)としての関係を深めていく様子が描かれた。「理由なき反抗」(1955年、アメリカ)では、ジェームズ・ディーンが演じた17歳の青年ジムを中心に、学校や大人社会への強烈な反抗や、そのなかで生じがちな葛藤などの青年心理が描写されている。
 歌も、しばしばその時代の人々の心情を代弁する。1980年代には比較的軽快な歌も数多く生まれたが、尾崎豊は、もがき苦しむ青年の気持ちを謳った「十五の夜」、「卒業」などメッセージ性の高い歌を発表した。校内暴力が社会問題となった時代背景のなかで生み出された彼の歌は、対抗文化の持つ意義について、今でも人々に考えさせるところがある。1992年に26歳の若さで急逝した彼は、生前、スターに祭り上げられていくこと自体にも、激しい戸惑いを覚えていたという。

2008年度センター試験 現代社会 第5問

これは、青年期についての問題なのだけど、反抗や意思表示をする青年の代表例として、尾崎に触れている。ちなみに、「十五の夜」というのは、正式には「15の夜」だと思うのだけど、漢字で書いてあるのはセンター試験の仕様なのかな。

今では、「闇の告白」が現代社会の資料集に取り上げられていたり、「僕が僕であるために」「永遠の胸」などの歌詞の一節が倫理の教科書に載せられていたりするらしい。「闇の告白」とは、なかなかすごい曲を取り上げたもんだ。

尾崎は、僕が生まれた年にデビューして、9歳のときに死んでいるので、僕はど真ん中の世代ではないのだけど、僕のときにも学校教育では触れてはいけない部分という扱いを受けていたような気がする。例えば、給食の時間に校内放送で流す音楽で使ってはいけないと言われていたり、ささいなことだったかもしれないけれど。

センター試験の問題は次のように続いている。

 近年は、反抗する青年たちよりも、学業に仕事にも就かない青年たちの存在に注目が集まるようになった。働く意思があり仕事を求めようとしても、思うように就職できないことが少なくない。この現状は、青年たちを取り巻く現代社会の一側面を表していると考えられる。
 このように現代の青年たちには、上に挙げた映画や歌で描かれているような激しい反抗や意思表示は、必ずしも見られない。しかし、すべての青年の内なる葛藤が薄れてしまったわけではないだろう。そのような葛藤から逃避することなく自己としっかり向き合ってみること、それが青年期の意義の一つである。

2008年度センター試験 現代社会 第5問

尾崎豊が教育現場で取り上げられている理由は、おとなしいと言われがちな最近の若者に対して、熱い気持ちを持てというメッセージなのだろう。

僕は尾崎豊が大好きで、特に自分を奮い立たせるときには必ず尾崎豊の歌を聞く。あれだけ感情のこもった歌詞を、力強く歌える人を他に知らないし、死後15年以上経った今、聞いても全然古い感じがしないのは人間の本質的な部分を謳っているということなのかな。

僕はバイクを盗んだり、校舎の窓ガラスを割ったりはしないけど、尾崎の歌を聞くと戦う気持ちになれるのだ。この気持ちは忘れずに生きていきたいし、後の世代にも語り継いでいきたいと思う。