三文会のお誘い

昨年9月から、毎週水曜日7:30から本郷で朝食会を僕を含めて三人で主催している。その名も三文会。

僕のモチベーションとしては、主に以下の2点。

  • 週に1回早起きの日を設けることで、早起きの習慣をつける。
  • 普段の生活では話す機会がない人たちと話をすることで、情報を仕入れる。

三文会を利用して、「早起きは三文の徳」を体現できていると思っている。

三文会では、毎回、30分程度の発表を行っており、仕事や研究テーマについて、最先端の情報を分かりやすく紹介してもらってい、それを元に話を膨らませていく。常時、10人くらいが参加してくれているのだが、社会人もいるし、学生もぜんぜん違う専門の人たちなので、いろいろな話題が飛び交って、おもしろい。

ちなみに、次回の三文会は株式会社コムニス代表取締役社長の蔭山さんを特別ゲストをお迎えして、「リーダーのためのパブリック・スピーキング」という題目で、話し方の講習を行う予定。僕もちょっとだけ蔭山さんの指導を少し受けたことがあるのだが、腹に力がはいった、説得力のある声の出し方について教えていただき、目からうろこという感じだった。このレクチャーは、研究の発表、仕事でのプレゼン、就職の面接などなどで、必ず役に立つはず。

場所は、東大本郷キャンパス正門前のファミリマート横にあるモンテベルデという喫茶店。時間は、毎週水曜日の朝7:30から9:00ごろ。その他、詳細は三文会ホームページに掲載している。

もし、興味のある方がいたら参加してくれるとうれしいです。

変わりゆく地元

浜松市長になった人が住む家である浜松市長公舎は僕の実家の目の前にあった。ただ、去年3月の浜松市長選挙で、市長公舎は税金の無駄なので廃止しますという公約を掲げた候補が当選してしまったため*1、廃止となってしまった。

 浜松市の第一次行革審で不要論が出て、存廃をめぐっては昨年の市長選の“争点”ともなった同市の市長公舎の本格的な解体作業が15日、始まった。鉄筋コンクリート2階建て会議棟から着手し、木造居住棟を含め、3月中旬には更地になる予定。存続案が最後まであったが、38年間の歴史に幕を下ろす。
 公舎は市内中区広沢の閑静な住宅街にあり、居住棟は昭和45年建築の260平方メートル、会議棟は同47年の480平方メートル。新市長当選後の昨年後半にも存続・活用案が出たが、市長の公約通り完全廃止が決定的となり、年末から解体準備に入っていた。
 足場が組まれ、解体シートに包まれた会議棟からは作業音が響き、近くの住民は「寂しいです」と見守った。敷地は2700平方メートル。跡地は売却を含めて検討する方向だが、地元からは公園への転用要望が出ている。
静岡県内ニュース(社会):解体作業、本格スタート 浜松市長公舎

年末年始に帰省した時点では取り壊し前だったのだけど、この静岡新聞の記事によると解体作業も始まった模様。ちなみに「近くの住民」というのは、僕の親とかご近所さんたちのこと。それなりに閑静な住宅街で、そこそこ広い土地ができるということになるので、不動産業者からの引き合いもかなりあるみたい。そこで、近くの住民で検討会議のようなものを開いて、でかいマンションが建ってしまったりしないように意見書を出したりしているらしい。

記事にある通り、公園にして欲しいと要望も出しているみたいだけど、せっかく税金の無駄遣いをなくすために市長公舎の廃止を決めたのに、そこを公園としてしまうのももったいない。なので、僕としては、複雑な気持ちだけど、景観を阻害しない程度のマンションを作るのがいいのかもしれないなと思っている。

僕は浜松で生まれ、高校までの18年間を過ごした。かなり地元には愛着を持っているが、浜松から離れて6年も経つと、いろいろと変化があって、帰省するたびに、ちょっとずつ変わっていく街に驚いてしまう。中学校のときに通った塾の校舎が立派に改築されていたりとか、駅前で集合場所といえば「花時計」だったはずなのに怪しい広場に変わってしまったりとか、実家のすぐ近くにあったローソンが潰れてコンビニが遠くなってしまったりとか。

ちょっとずつの変化だけど、僕は半年に1回とか帰省するだけで、その変化をまとめて見ないといけないので、ときどきその早さに驚いたりする訳だ。多少なりとも思い出があるものがなくなってしまうのはさみしいし、これは僕が知っている浜松とはもう違うものなのかもしれないという気がしてくる。

僕は来年からも東京に住んでいくつもりだし、生活の拠点が浜松に戻るということはないと思う。ときどきは帰省するけど、そのときに浜松はどんな風に僕を迎えてくれるのか。楽しみでもあり、怖いところでもある。

*1:その人が当選した理由はそれだけではないが。

2007年

あと、ちょっと2007年も終わり。

ほぼ日手帳を使っているのだけど、パラパラと振り返ってみると、今年も本当にたくさんのことがあったなぁ。
今年の初めのころは卒業後の進路など思い悩んでいたが、その後、だんだんと自分の生きる方向性が見定まってきたように思う。手帳のところどころにその葛藤のあとが残っていて、ほんの数ヶ月前のことでもずいぶん懐かしい気持ちになってしまった。

僕は、ほぼ日手帳のコンセプトである、「なんでもない日、おめでとう」という言葉は結構好き。1年のほとんどが「なんでもない日」なんだろうけど、その一日一日の積み重ねが一年を形作っている。

2008年は、ついに学生生活が終わり、社会人になる区切りの年。来年も、二度とやってこない「なんでもない日」を大切にして生きていきたいと思う。

あの頃の僕に、これからの僕に

昨晩は、毎年恒例となっている、テレビ番組「クリスマスの約束」を見た。これは、小田和正さんがゲストを交えつつ行ったコンサートを収録したもの。

何人かのゲストが出てきたが、その中でも、この番組のために、さだまさしさんと小田さんがお二人で作った「たとえば」という曲がすごくよかった。


あの頃の僕に会えたら、話したいこと。
それは、あの頃の歩幅でいいから、ひたすら歩き続けること。
これからの僕に言えることも、
今のままの歩幅でいいから、ひたすら歩き続けること。


自分たちの信じた道を進んできたお二人だからこそ、出てくる言葉なのではないかと思った。

番組の最後の方で、さださんが「昔に戻りたいと思うことはない。だって、一生懸命生きてきたから。それでも、昔の自分と話してみたいということはある。そんなに悩まなくても、何とかなるよとか言ってあげたい。」というようなことを言っていた。

将来のことはよく分からないし、不安に駆られることも多いけど、僕は自分の信じた道をただひたすらに歩き続けようと再確認したクリスマスの夜だった。

伊藤陽介という名前

404 Blog Not Found:実名って不平等だよね

小飼弾さんがいろいろ書いているが、僕の名前は「伊藤陽介」とありふれた名前なので、個人特定力は低いかもしれない。でも、他の意味でちょっと困ることがある。

まず、地元は伊藤姓が比較的多い地域*1だったので、クラスに伊藤が2,3人いるのは普通。名前のインパクトがないだけで、先生に覚えてもらう順番は遅くなってしまうし、ひどい場合には「大きい伊藤君」と「小さい伊藤君」と呼ばれ続けられたりする。

また、東大の入試は、あいうえお順に席が決まっているんだけど、僕の隣の席の人は同姓同名(漢字も一緒)で、回答を取り違えられたら大変だなーとちょっとドキドキしていた*2

「伊藤陽介」でGoogle検索すると、それはそれはたくさんの伊藤陽介さん*3が出てくる。C言語の本の作者だったり、どっかの会社の社長だったり、何かの懸賞の当選者だったりに、自分の名前が書いてあるとドキッとするね。

ということで、他人と差別化できる珍しい名前にはちょっと憧れがあって、小飼弾さんとは違った意味で、実名のアンフェアさを感じたりする。

*1:伊藤姓の分布については「伊藤という名字の分布地図データ」を参照。

*2:結局、どちらの「伊藤陽介」も受かっていたけどね。

*3:それでも、2,3位あたりは僕。ちなみに1位は「伊藤陽佑」という俳優。漢字が違うのに…。

いろいろと解明されている今だからこそ、人生面白いかもしれない

20くらいまでは無限の可能性があると思ってたのですが
現実を知ったら、もうほとんどのことは解明され
ちゃってて、先人に学んでルーチンを
繰り返すしかないんだなと気づきました。
これからどうすればいいんでしょうか
教えてください人生の先輩方

人生面白くないよ

僕も、まだ24歳だけど、一言。

僕は、学部生のときに機械工学を専攻していたのだけど、最初は、数学や、機械力学・熱力学・流体力学・材料力学のいわゆる四力などを教えられる。一つ一つが歴史の長い学問で、覚えないといけないことも膨大で、こりゃ大変だなと思っていた。

いろいろな法則や公式があったけど、それらを発見したのは、歴史上の超天才の皆様だったりする。例えば、数学者のオイラーは、30歳くらいのときに右目を失明、後には左目も失明して全盲になったにも関わらず、ペースを落とすことなく論文や著書を発表し続け、一生のうちに500以上の書物および論文を出版した。1年平均800ページという、並の数学者の一生分以上を毎年書きまくっていた計算になるらしい。そんな超天才たちが築きあげてきた理論体系を前にして、一体、自分が勉強する意味とはなんだろうと思ってしまうのも理解できる。

では、昔の世界に生まれていた方がいろいろと分からないことが多くて、よかったのかというとそうではないと思う。

中学生くらいのときに聞いた話で、情報としては不確かなのだけど、古代エジプト文明時代の最先端の知識というのは、現代の中学生レベルだったとか。偉大な先人たちが、ちょっとずつ未知のことを解明してくれたおかげで、今がある。

僕たちは、偉大な先人には敵わないかもしれないけれど、そんな先人たちが苦労して考えてくれた知識を大学生の分際で学ぶことができ、それに自分の考えを付け足して、新しいものを生み出すことができる。僕たちは、そんな人たちが作った公式をちょっと拝借して、その人の時代にはなかったような付加価値を生み出すことができるんだ。

iPodだって、YouTubeだって、科学的に見ればすごい発明ではないかもしれないけど、昔から蓄積されてきた科学をどのように使うか考えるだけでも、膨大な可能性がある。まだ解明されてない超難問に挑んでいくのもありだと思うが、偉大な先人たちの知恵を拝借して、そこから何かを生み出すという生き方も面白いと思う。

「こえ部」で遊んでみた

面白法人カヤックから、「こえ部」というサービスがリリースされたので、早速遊んでみた。

 カヤックは、Webブラウザ上で録音した音声を共有できるサービス「こえ部」のベータサービスを公開した。利用は無料。

 こえ部は、ユーザーが録音した音声を公開できるサービス。音声入力が可能なPCであればマイクを用意するのみで利用可能で、Flash Playerを利用してWebブラウザ上で専用ソフトなどを利用せずに録音ができる。

 録音した音声はこえ部で公開できるほか、お気に入り登録したユーザーへの送信や、音声へのコメント投稿、プレイリスト作成、“お題”の作成と投稿もできる。

 また、録音した音声を再生できるブログパーツの公開も行なう。カヤックでは、こえ部について声優を育成する教育機関や、アニメ業界、演劇業界などとの提携を進め、プロ声優への“登竜門”サイトを目指すとしている。

カヤック、ブラウザ上で音声を録音して共有できる「こえ部」

実は、一緒にウェブサービスを作っていた知り合いと、モノマネを自由に登録できるサービスを作って、声優のプロダクションと提携したら、おもしろいかもねなんて話をしていたことがあったんだけど、それを見事に作ってくれた感じだなぁ。

僕の特技はモノマネなのだが、早速、自信のあるレパートリーを投稿してみた。

聞きたい人は以下からどうぞ*1。ユーザー名「いよぽん*2」が僕。

この3つは今朝登録したのだが、「もう我慢できない」が現時点での今週のレイティングランキングのトップに!

暇なときにもうちょっと長いものを投稿してみようっと。声優プロダクションからオファーきたりしないかなー。

*1:本当はJavaScriptを使って、ブログに直接貼り付けることもできるんだけど、それをはてなが許可していないので、リンクする。

*2:とりあえず、正体を隠して、参加しています。って、ここに書いちゃったら意味ないかな。